おれは現在28歳、早生まれだからもうすぐ29歳だ。
ということは約一年でラスト20代となり、30代を迎えてしまう。
いわゆる1つの人生の節目であろう。
おれの好きなバンドのクリープハイプにも二十九、三十という歌があるようにおれもこの感情をなにか言葉に残したいと思った。
なので今回は一度自分の20代を振り返り、最後の20代をどう過ごし、そして最高の30代にするための意気込みでも書き連ねていこうと思う。
二十歳、全てを断ち他人とは全く違う道へ(〜20)
おれには成人式の思い出が全く残っていない。
おそらく久しぶりに会った高校の同級生とは、もう全く別の人生を歩み、交わることが無いと察した為であろうか。
おれは20歳でNSC(吉本のお笑い養成所)に通うこととなった。
もともと10年前(小学校4年生)ぐらいの頃からお笑い芸人に憧れていて、中学の頃には自分をはお笑い芸人になることを決心していたので、別に虚な気持ちで道を踏み外した訳ではない。
ただ人生の保険として大学には通おうと思っていたので、少し早く、大胆な決断ではあった。
一応それなりに偏差値の高い高校には通っていたので、周りと同様MARCHぐらいの大学には通おうとしたのだが、やはり自分の中の明確な目標(芸人)が当時あったので一浪した時点で勉強に対するモチベーションが全くなくなっていた。
決めては母子家庭であまり裕福な家庭ではなかったので、母親に”大学行かせるの厳しいかも”と言われた時点で、即答で”じゃあやめる”と言い放った。
夢のお笑い芸人、大好きだった世界の揺らぎ(20〜22)
話は戻り、NSC。
養成所で最初の相方とコンビを組んだ時には、おれは本気でスターになれると思っていた。
10年間芸人になることを考えていたので、それなりに予備知識があり、やはり異端な奴が芸人で売れると思っていたので当時のおれも尖りまくっていた。
同期の芸人は全員敵で、ほとんど面白く無いと思っていた。(実際そうかもしれないが)
なので同期の数少ない人としか友達付き合いすることもなかった。
しかし3ヶ月後、最初のコンビを解散してから、元々競争社会に向いてないせいか徐々に自信がなくなっていった。
それでも無理して頑張って尖って、コンビでやったりピンでやったり、NSC期間含む吉本に所属して3年間ぐらいは必死に食らいついていた。
根は真面目な性格なので、笑えば良いだけのお笑いを真剣に分析していた。
舞台ではウケる時もあったが、全く結果が出ない。
そして気付いたら、あれだけ好きだったお笑いが、なんだか辛いものに変わっていった。
ライブも月に3回程度しかないのに、嫌々新ネタを作っていた。
面白いはずのお笑い番組も、純粋に楽しめなくなってしまっていた。
ピッツァとの出会い(22〜24)
そんな売れない下積み芸人生活だったので、一人暮らしをしながら様々なアルバイトを転々とし、なんとか食い繋いでいた。
その数あるアルバイトの中の1つに、ピッツェリア(ピザ屋)もあった。
ピザは好きだし、なんとなくピザ作れたらかっこいいなーと思って始めた。
手伸ばし釜焼きスタイルの本格的なナポリピッツァの店だったので、新たな技術を覚えるのに夢中になった。
バイト先には良い人が多く、年上のおじさんには色々教えてもらいながら可愛がられ、少し年下の大学生と一緒にバカやるのも楽しかった。
どんどんピザ屋のバイトにのめり込んで行った。
芸歴は3年目ぐらいで、それに比例するように活動が疎かになっていった。
気づいたらピッツァ職人のようになっていた。
考えをリセットするための決断(24〜25)
気がついたら芸人の活動を全くしなくなった。
しかし素直に辞めるとは言えなかった。
なぜなら未だに自分は面白いと言われるし、面白いとも思ってるし、応援してくれている友達もいるし、笑わせることは好きだしetc。
しかし続けるにも、お笑い自体が好きかは疑問だった。
自分の気持ちがわからなくなっていた。
そんな虚な心の時期に、バイト先の先輩からワーキングホリデーの話を聞いた。
30歳まで限定の、1年間勉強も仕事も好きにしていい海外ビザの事だ。
前々から自分の人生の中で、一度は海外生活をしてみたいと思っていたので、すぐに詳しい話を聞きにいった。
そしてほぼノリと勢いでおれは1年間海外に行くことにした。
英語圏で暖かいという安易な理由だけで、オーストラリアを選んだ。
人生初海外だ。
初海外、オーストラリアで1年間ワーホリ(25〜26)
オーストラリアでの生活は毎日がとても新鮮で、刺激的だった。
最初1ヶ月はホームステイをしていたのだが、そこのマンションは目の前に美しいビーチが広がっていて、初日からおれの目は輝いていた。
語学学校にも4ヶ月ほど通い、久しぶりに学生にもなった。
やはりおれは学ぶこと、そして学校が好きということに改めて気付かされた。
オーストラリアもアメリカ同様人種のるつぼで、様々な国と地域から人が集まってくる。
語学学校でもアジア・ヨーロッパ・南アメリカの様々な国籍の人が集まり、いろんな国のやつと友達になった。
限られた時間のためか、毎月毎週自分が成長していくのが手にとるよう実感した。
一番下から入ったクラスも、最後には上から2番目のレベルのクラスへと上がれた。
学校を卒業した後は、持ち前のピザスキルのおかげですぐ現地のイタリアンレストランで働いた。
2回クビになったのも、良い思い出だ。
オーストラリアの最低賃金は高いので、それなにり金を貯めて、戻る前には旅もした。
本当にオーストラリアは自然豊かな国で、特に美しいビーチには何度も感動した。
オーストラリアでは常に誰かと共同生活をしていて、もう何処で誰とでも住める免疫もついた。
人としておれは間違いなく成長をした。
帰国、コロナ、勉強と挑戦の期間(26〜28)
おれは2020年3月に帰国したのだが、その頃は丁度コロナで世界が混乱している時だった。
ぎりぎり規制も定まって無かった頃だったので、隔離も何もなく帰れたのは本当に運が良かったが。
そしておれは伸ばした英語力をいかしてさっさとTOEICで高得点を取り、なにか英語関係の職にでも就こうと思っていた。
ちょうど東京オリンピックも開催される年なので、外国人観光者に向けた観光案内業もよい。
しかしながら、TOEICは延期に延期。
世の中は自粛ムード。
もちろんオリンピックも延期だ。
なのでおれは無理して職は探さず、とりあえず英語の勉強を継続して行い、あとはその他の知識を蓄える期間に一時入る。
そして同年秋頃にやっとTOEICを受け、英語力を落とさず、逆にもっと伸ばせたのでそこそこの高得点を取ることができた。(330→775へup)
それから英会話講師にでもなろうとしたのだが少し気が変わり、とりあえずウーバーイーツの配達員をはじめる。
そしてフリーランスとして働いてみようと決意したのだった。
最初の挑戦はYouTubeだった。
友達と同棲して、少しの間ともに面白系ユーチューバーになろうと撮影・編集などをしていた。
しかし、友達は普通の会社員だったせいか、次第に忙しさに流されYouTubeは疎かになっていった。
ブログ、孤独、お笑い、旅、ブログ(28〜現在)
そして次なる挑戦として始めたのが、このブログだ。
色々フリーランスで稼ぐ情報を集めているうちに、ブログでのアフィリエイトも結構稼げることを知り、やってみることにした。
3ヶ月間ぐらいは慣れないながらも必死にやっていた。
そして初心者でありながらも3ヶ月目で月1万円ほどの収益がでて、調子良くいけるかもと思っていた。
しかしながらそこからなかなか伸びず、1人っきりでの戦いということもあり、だんだん精神的に落ちていく。
一旦これ以上続けるのは厳しいと判断し、またあることを思う。
”もっかいお笑いやってみたい”
お笑いの世界から少し離れて気づいたことは、やはり自分はお笑いが好きだった。
そして一度は挫折したが、色々経験した今ならなんだかイケる気がした。
そして約7年ぶりに元相方に連絡をし、夏にM-1グランプリに挑戦してみることにした。
結果は一回戦負け。
真剣にやった。
なので悔いはない。
これ以上お笑いに深入りしない決意ができたので、良い収穫を得た。
ただ1つの目標がまた潰れたので、正直うわの空な気持ちではいた。
そんな中行ったのがベトナムだ。
実に3年ぶりの海外。
ベトナムではすっかり自粛ムードは無い。
異国の地、新鮮な世界。
やはり私は海外、いや新体験が好きだと再認識した。
”おれはこれから何をすれば良いんだろう、、”
という悩みに1つの答えがでた。
”ノマド生活”だ。
おれは場所にとらわれず働き、色んな未知の土地へ行き、色んな未知の経験をしたいと思う。
そしてそのためにはブログが必要だった。
また今の時代YouTubeも。
なのでフンドシを履き直し、おれはブログを再開した。
”なんとなく稼げればいいやー”
から明確な目標ができたのだ。
ラスト20代(29〜30)[未来]
正直未来のことなんて、なにが起こるかわからない。
だから明確な目標を決めたところで、そう上手くは絶対にいかない。
だがおれの人生の中で、この1年は極めて重要だと予感している。
ここの頑張り様で人生が大きく変わるはずだ。
なので最高の30代を迎える最高の選択をとっていこうと思う。
まずはこのブログで月6桁の収益は確実に出そう。
そのために今努力しているし、それぐらいは確実にいけるはずだ。
そして海外に行く。
ある程度長い期間で。
そしてそのことをネタにブログ、YouTubeも進めていきたい。
あと実家もでる。
もともと長いこと1人暮らしはして正直寂しい生活には戻りたくないが、実家だと気を使ってYouTubeも撮りずらいからな。
そして自分の肩書きに”クリエイター”というものもつけたい。
やはり色々挑戦してみて、想像し創造することが好きだと気づいたからだ。
まああと結婚はまだいいが、そろそろパートナー候補を見つけたいかな。